名画座テアトル犬小屋

雑種犬が観た映画について書く場所。観たことのない映画で遊んだり、何度も観た映画についてしつこく語ったりするめんどくせえ、洗ってない犬の臭いがするブログ。

第3回 「砂の器」

初回で観ようかと思ったけどやめたこの映画。

やめたのにテーマ曲が頭から離れないので、仕方ない、結局観てしまった。くそう。上品にいうとうんこ。

ちょっと前に中居くんが主演したバージョンだと思った方、残念でした。

松竹映画の方です。丹波哲郎版。

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いやあもうみんな若いな! あと島田陽子さんはこの映画でもやっぱりうつくしい。

時代もあるんだろうけど、割と原作に忠実にやってるだろうから、いっぺん観ても損はないと思う。

ちなみに私、原作は未履修。いや、松本清張は何かというと「社会のせい」で片付けちゃうから。本格探偵小説好きとしてはそこが不満。もっと読者とガチンコで勝負してくれよ。

 

まあねえ、この映画も結局は「社会のせい」ってことになるんだろうけど、たぶん今ではもう通用しない類の内容だよね。

長閑など田舎、今とは様相を異にする、わかりやすい露骨なほどの貧困、未発達な医療、偏見、そういうもんがまだ生きていた頃ゆえの話で、ノスタルジア…ともちょっと違うんだけど、だから、これはもう失われて絶対に戻らない光景の記録みたいなもんだと思って観ております。

原作者は世相だとか社会構造だとか、そういうもんが追い詰めたんだと言いたいんだろうけど、でも罪を犯したのは人間だし、そういう立場の当人からすれば「やったのは俺だ」という意見は出るだろう。「俺の行いをわかりやすい型にはめるな」と。「俺の罪は俺のものだ」とね。

あとねえ、この映画観るたびにいたたまれなくなるの。

善意が人間を追い込むこともあるの。それも底抜けの善意であるほどに始末が悪いの。

で、そういう善人は永遠に、自分の何が相手を追い詰めたのか理解できない。凄まじい断絶ですよ。

何と言えばいいんだろう。汚れひとつないものを見て、自分の薄汚さを思い知らされて嫌気が差す、ってことなのかしら。とことんまで汚れきっていれば開き直れもするんだろうけど、その中途半端さが逆に惨めさを強調するのに耐えられなくなる。

人間として捨てちゃいけないものまで捨てて、それでやっと人並みになったのに、それでもしつこくあらわれて、自分がいかに惨めで救いようのないやつなのかを思い知らせる。それも、悪意なんてミジンコの毛ほどもなく。悪意がないからこそしつこく、だからこそタチが悪い。

この映画、そういう人間の心理を思うと、下手なホラーよりもおそろしいですわ。だって絶対に解り合えないんだもの。そして片方だけが解り合えないということをよく理解できてるのに、相手には永遠にそれがわからないの。その「伝わらない」「わかってもらえない」という、鈍感由来のディスコミュニケートがひたすらおそろしい。どうにかするには排除するしかないという、そこまで断固たる対応をするしかないというのもまた恐怖を助長するし、実行してしまうほどに抱え込んだ業も、そんなもんを捨てられない人間もやっぱりおそろしい。

 

だからこの映画、私にとってはちょっとした恐怖映画。

何より一番わからないのは、主人公の丹波森田健作が追いかけるもうひとりの主人公、犯人のあいつが、何を思って子供のうちからあんな暮らしを選んだのか。そこが謎のままで推し量るだけの材料すらないぶん、余計にわからないのがおそろしい。でてくる証言者たちがみんな、あいつの行動は覚えていても、当人に何を訊ねるでもなく交流が一方的なのがねえ。

 

ああそうか。

それでか。

わかったぞ。

何がなぜおそろしいのかを挙げていたら、ちょっと見えてきた。

人間というのが、他者に囲まれて関わって交流を持ち対話をして、という環境におかれて初めて成り立つのだとしたら。あいつはそういう意味では「人間」とは言いがたいものだったのかもしれない。その成長過程において。

文字通りすべてを捨てることでやっと人並みの人間性を獲得したと思ったら、捨てたはずのものが呪いのようにあらわれて、今更やっとなった人間を辞めるわけにもいかない以上、他にいい方法を思いつかなかった。

でもさあ、がんばったところで、紛い物はどうあがいても真物にはなれないの。

それでもやらざるを得ない。だから怖いんだよ。

 

人間を、ヒトではない何かにしたり怪物にしたりしちゃあいけない。

これはそういう映画。たぶん。

しょっちゅう観るにはおそろしくて耐えられないけど、ごくたまに、何かの拍子で観てしまう。そしてやっぱりおそろしい。私にはそういう映画です。

もう当分見ないぞ。とかいって、忘れた頃にまた観るんだ。チクショー!

次はもっとソフトタッチで明るくなれそうなやつにしよう。

第2回 「機動警察パトレイバー2 the Movie」

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いきなり観たくなったのでこの映画を選択。

実は昼間に第1回の「映画刀剣乱舞」を観ながら本文を書いてUPしたばかり。

スタートしたその日とはいえ、あまりに記事がないと、せっかく観にきてくれた方に対して申し訳ないな、と次弾をこうして準備中。

初回同様、小屋主の趣味丸出しの題材ですが、もういいなんとでも言え。

 

いやあ、このオープニングの緊張感、レイバーの実験機の駆動、何もかもが本気の全力疾走感が、最初から惜しみなく叩きつけられるこのパワ、実はパト1よりもこの映画の方が、何百回でも観られる。私はな。あくまでも私は。だからってアレだ、パト1も好きだぞ。もちろん。

押井監督は「僕の映画では最初に結論を出してるんだよ」とブロマガの対談などで仰っていましたが、パト1ではセリフとして出たそれは、この映画では、序盤で第二小隊の初代メンバー達がすでに隊を離れ、各々出向先や異動先で新たな生活を始めていて、なんとも没個性な二代目が後釜についていることで、雰囲気として漂わせていますね。とどめは課長すら去り、しのぶさんが第一小隊を束ねながら課長代理を兼任、更に特車二課そのものがそう遠くないうちに解体されるという話まで出ていることで、ああ、これは終わりの物語なんだな、と匂わせている。初見では何かやろうとしているな、という予感として、再度観たときには、そうか! と全ての符号が合うようになっているわけです。

で、パト2がパト1とどう違うのか。

まずパト1は、第二小隊の面々の側から事件を追いかける、というストーリーゆえに、夏という季節とも相まって実にフレッシュ、若々しくて元気な、溌剌とした印象ですが、パト2はどちらかというと、メインヒロインはしのぶさん、序盤で起こった事件をきっかけにきな臭くなっていく世相を背景として、後藤さんや松井さんの行動を追いかけていく展開ゆえに、どちらかというともっと大人の世界を思わせますね。何度も観て考えて、それでは自分は、この映画に登場する大人たちの誰に共感できるのか、誰の考えなら理解できるのか、受け入れられるのか、誰の考えに何故違和感をおぼえるのか、自分ならどう行動するのか、それを自問することになる。明快な正解がないからこそ、あそこで彼は彼女はこう行動した、では自分は何を選ぶのか? 観るたびにそんな宿題を出されたような気がするんですよ。観ながら考えて、でも何をしたところで、おいそれとは状況をひっくり返すのは難しいこの展開を、もっと穏やかなものに変えられるのか? どうすればいいのか? そもそもの最初から矛盾の中にあって、じゃあ矛盾をただしたときに何が起こるのか? ただすのが果たして正解なのか? 

人間、何十年生きていれば、そりゃあ過去だってイロイロついてきますよ。そういうものをうまく身にまとったり切り取ったり、切り落とし損ねて引きずったり、みんなそうやって生きているんだよ。

自分の過去、生まれた国の過去、この世界の過去、そういうものを自分はどう扱うのか。

自分が、暮らしている国が、戦っていないから平和なのか? では今のこの生活は、実際のところどうなのか? それは何が起ころうと変わらない盤石のものなのか? 変わったときに自分は何を選ぶのか?

事態がどんどん悪くなる中、パト1では無邪気にアルフォンスを大事にしていた野明は大きな選択をし、それを通して観ている私達はより切実に「君はどうするんだ? 」と問いかけられる。なんとなくそんな気がしてしまうんですよ。そして、その問いは更にTNGパトのこのシーンでより強く叩きつけられます。

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観るたびに考えるべき命題が次々あらわれ、以前に観たときに持った疑問に、自分はどんな答えを出したのか、何度でも考えるし、考えずにはいられない映画です。

たぶん死ぬまで観られる。

 

ラストでしのぶさんが選んだ道は、自分の良心に嘘をつけないがゆえに、あそこへいくしかなかったのかもしれない。

 

後藤さんと松井さんのカッコよさは大人になるとよくわかるってのは、ランバ・ラルと同じだと思うのは私だけか?

子供の頃は「なんでこんなヒゲのおっさんにこんなきれいな奥さんがいるんだろう」って思ってたけど、大人になってから見たらすげえカックイかったランバ・ラル。後藤さんと松井さんも、たぶん若い子が見るとヨレヨレのおっさんにしか見えないのかもしれない。

まあいい。男は味があってナンボだ。

第1回 「映画刀剣乱舞−継承−」

 

8月に入った途端にクッッソ暑くなったので「砂の器丹波哲郎版を観ようと思ったんだけど、冒頭でなんか違う、としっくりこなかったので変更。

気がつくとこれを再生していました。

聞いて笑え! ここで最初に何をやるか、散々迷って結局コレだ!

「映画刀剣乱舞−継承−」。今回はこれで行く。誰が何を言おうとやる。決めた。うちの近侍は出てないけどな!(←近侍は御手杵君)

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ということで、ここは小屋主の好き勝手によって運営される名画座なので、初回から好きにやらせてもらいます。なんかの間違いでうっかり入っちゃった方、犬にでも噛まれたと思って諦めてください。なにせ小屋主はほら、雑種犬(狂犬病予防接種済)なので。

 

まず冒頭で、審神者と刀剣男士、時間遡行軍との相関をさり気なく紹介しながら、映画本編のメインテーマである本能寺の変と信長を見せる演出の巧みさ。

一見、ただただイケメン並べてるだけに見えるでしょ? ただの2.5次元映画だと思ってるでしょ?

残念でした! 日本で「アヴェンジャーズ」に肩を並べるものを作ろうと思ったら、プリキュア刀剣乱舞しかないよ。実際。

しかも刀剣乱舞がメインに据えているのは歴史。歴史に絡んだ来歴を背負う刀剣男士だからこそ、過去を守ることで人間が「未来を選ぶ」選択をする行為・機会そのものを守り可能性を担保する。

一方の時間遡行軍が、異形じみた容姿で、およそ言葉など伝わらなさそうな、意思の疎通がまるでできなさそうな雰囲気なのは、あれはもしや、たらればで後悔のもとを修正したいというよりは、過去を否定することで現在はもちろん未来も人間も世界も否定し、とにかく何もかも壊したい消したい、それしかないからコミュニケーションすら取ろうとも思っていないし取らない。軍としてまとまってるのは、単に目的を同じうする同志だから云々というよりは「群体」みたいなもんだからなのかもしれない。カツオのエボシみたいな。

 

いや待て。これもう「アヴェンジャーズ」超えてねえか?

あちらはほら、まずキャラクターごとにシリーズがあって、大概その第1作目は主人公がどんな奴なのかという紹介をするだけで終わってるんだけど、この映画、見ただけ、他のキャラクターとのやり取りだけで誰がどんな子なのか、仲間との間の立ち位置がどうなのかがすぐわかるし、しかもどでかい事件を絡めることで、しっかり命題を提示してもいるし、アクション、歴史ミステリ、人間ドラマ、その他複層的な観方もできる。

まさか日本の映画で、こんなに何度でも違う楽しみ方をできる作品が、押井守作品以外から出てくるなんてな! こいつは驚きだ! ってうちの鶴さんも言ってた。

この映画、信長に山本耕史、秀吉にヤッシーと配役が豪華なんだけど、ただのキャラクター映画だったらオファーしても出てはもらえなかったと思うんですよ。作品のテーマがすげえ野心的だからこそ実現した配役だと思いますよ。

 

それにしても、実写版本丸の薬研はちゃんと名医な感じしませんか。うちのマッド漢方医みたいな、ひとり731部隊な感じとまるで違う。みんなすげえちゃんとしてるな実写版本丸! うちの三日月じーさん、こんな風にシュッとしてるのは、若いねーちゃんと遊ぶときぐらいじゃないのか。

 

いや、本当にこの映画すげえぞ。

審神者だからっていう贔屓目じゃない。

謎に裏切り、友情、謀略、野心、敬愛、価値観の逆転、それらを踏まえた上で「何を守りたいのか」「何に価値を見出すのか」と問いを突きつける。劇中で問うもの問われるものを通して、観ている我々にもまた、同じ問いを投げかける。そういう映画になっています。

観てくれ。未見の方、騙されたと思って観てくれ。

特に普段歌舞伎とか観てる方、クライマックスですべてがひっくり返るちゃぶ台返し展開は、相通ずる快感原則があると思いますよ。

 

とにかく観てくれ。観ろ。

薬研と不動君は見るからに短刀な軽業師系のアクションだし、鶯丸の体捌きは自然体が極まってシステマを思い出すし、見どころは何度観ても新たに発見できるから! そういう映画だから!

押井守作品以外の、日本では数少ない「100回観られる映画」。

何度でも言う。騙されたと思って観てください。

俺の求めているものがほぼほぼ網羅されている奇跡の1本だ。

 

 

 

ちなみにこの映画、二刀開眼と真剣必殺してるのはスタッフロールで流れる西川ニキと布袋寅安にいやんの主題歌なの、実に趣深い。

最後の最後までひとネタぶっ込む、油断ならぬ作品。

よっしゃ、金たまったら円盤買うぞ。

おことわりという名の妄言━━館主ご挨拶にかえて

どうも、この度思い立って、このはてブの片隅に小屋をかけることになりました雑種犬でございます。

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雑種犬とはいえ、ここは犬小屋とは違い、小屋は小屋でも古今の映画をかける小屋。今でこそ、おかしな流行り病のおかげでシネコンでも過去の名作を上映するようにはなりましたが、まあ要は、若い方などはほぼご存知ないであろう、昔懐かしき名画座、ちょっと以前の映画や昔の作品をかける二番館三番館のようなもんです。昔はあったんですよ。そこそこの規模の街には1軒2軒、小さな映画館が。私の住む街にも昔はありました。もっとも、物心つく頃にはすでに、二番館三番館どころか、映画という娯楽そのものがパッとしなくなって、おピンクな作品ばかりかけるションベンくさい場所になっていたおかげで、私が通うのは聖地・立川のシネマシティ=サンばかりになっていましたが。そう、今ではでかいシネコンがこぞって真似る爆音上映の元祖であり「マッドマックス フューリー・ロード」をはじめ「ガルパン劇場版」などを次々と、極上爆音上映、リバイバル極爆上映で公開し続け、日本全国から最高の音響で映画を楽しむためにファンが通い詰めるシネマシティ=サン。MMFRのリバイバル極爆上映のために、6000万かけて音響機材を新規導入した、あたまおかしい(最大の賛辞)シネマシティ=サン。

あそこで映画を観てしまうと、もうその辺のシネコンには入れない体にされてしまいますが、それは別の機会にお話しするとして、この場所では主に、私が今観たい、かけたい語りたい映画をかけ、それを観てテケトーなたわごとや考察を垂れ流し、いいから観てくれとゴリ押しするのが目的です。すげえ褒め倒すこともあれば、なんでこんなもんを観たんだろうと愚痴を垂れることもあるだろうし、観ているうちにもしかして、とテーマや物語やキャラクターについて推測を始めたりもするだろうし、映画を観ているうちに思い出した無関係な話を始めたりもする、まあそんな場所です。

この映画を観ながら、こいつはどこをどう観て何を考えるのか、と、小屋主の思考回路に興味関心を持たれる方がいらしたなら、いっぺん中を覗いてみてください。たぶん、死ぬほど退屈な休日の暇つぶしくらいにはなる、と思うので。

もし環境が整っておいでであれば、動画配信やDVDなどで作品を再生しながらお読みいただければと思います。こいつはこの映画を観てこんなことを考えていたのか、とか、自分ならここはこう捉えるけどな、とか、新たな楽しみ方を掘り起こすお手伝いができたなら幸いです。

ただ、ここは何せ、ネット環境さえあれば木戸銭不要、タダで出入りできるうえ、小屋主の雑種犬1匹が火の車で強引に回している場所なもので、次の作品公開までのスケジュールは未定、基本的に完全不定期での運営となりますが、あまり長々と日を開けないようには気を付けます。できるだけ。あと、取り上げる作品のジャンルも凄まじく偏ることが予想されますが、こいつがこれを観たらどんな反応するだろう、など、上映作品のリクエストなどありましたら、小屋主のついった垢や、この小屋のコメントスペースにでもひと声お掛けください。反映は遅くなるかもしれないけど、今なら観られる! と体力気力が整えば挑戦しようと思っておりますので。

 

それでは、あまり枕ばかり長くなるのもよろしくないですね。ご挨拶はこの辺にして、まずはごゆっくりお楽しみください。