名画座テアトル犬小屋

雑種犬が観た映画について書く場所。観たことのない映画で遊んだり、何度も観た映画についてしつこく語ったりするめんどくせえ、洗ってない犬の臭いがするブログ。

第14回 「GHOST IN THE SHELL」「イノセンス」二本立て

先日うっかり「鬼滅の刃」という広大な底無し沼に落ちましたが、とりあえずどうにか無事です。

今日は久しぶりに観たらやっぱり面白くて、もはや数えるのも不可能なぐらい観てるこの2本にしました。

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いやほら、攻殻機動隊のシリーズだし。一緒に観ないとでしょう。

と思ってなんとなく観てたら、いきなり再確認した。これ、二本立てで観ないといかん映画だった。

 

まあね、もはや言わずもがなというくらい、広く知れ渡った映画ですがね。ウォシャウスキー姉弟をはじめ、海外の映画監督にどでかい影響を与えたということでもよく知られてますよね。「ルーシー」なんて、ヒロインの感覚が拡張した描写がもろにこのシリーズの演出方法の劣化版でしかなかったし。

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やっぱりどうしたって、後発の作品はこのかっこよさにはかなわないし、いまだにこれを超えるものが出ないってところがいかにすげえシリーズかを物語ってるよなあ。

 

まず1作目「GHOST IN THE SHELL」では、謎のハッカー人形使いの正体を知った公安9課と真相の露見を恐れた外務6課の攻防と、その渦中で当の人形使いから素子さんにある取引が持ちかけられ、彼女が大きな選択を迫られることになるわけですが、続く「イノセンス」はその2年後、素子さんが去った公安9課が、これまた人形が絡んだ事件を手掛けることになり、素子さんの相棒であったバトー君と、素子さんが所轄からスカウトしたトグサ君がコンビとして捜査に当たることに。

押井作品の例に漏れず「何万回でも観られる」「観るたびに発見がある」のはこのシリーズでもそうですが、今回2作続けて観たら、もう何万人が気づいていることと思われますが実感した。

この2本は続けて観なくてはいかん。

 

どちらも大きな要素として「人形」が出てきますが、その描かれ方扱われ方が対極にあるんですよ。

まず「GHOST IN THE SHELL」では、魂を得た人形が真に「生命」といえるものになりたくて、自身の造物主を裏切る物語ですが、片や「イノセンス」は、まがい物の魂を吹き込まれた人形のありように疑義を持つものでして、いや、ここまでかけ離れると皮肉だなあ、と思うんですよ。

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じゃあ魂とか尊厳とか、そういう言葉に代表されるものは、何に裏打ちされてるのか。

ゴーストハックされて偽の記憶を植え付けられた人間は、自分のよって立つアイデンティティを失い、

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魂をコピーされて人形に植え付けられた子供は、自分の悲鳴を人形に埋め込み、わたしは人形になりたくないと拒絶する。

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一方で人間は機械の体を自在に乗り換え、自身の体と同じ機械仕掛けであっても、魂がない人形を使い捨てる。

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またその様を見て「人形に魂を吹き込んで人間を模造しようなんて奴の気が知れんよ」と人間の不完全さを嗤う者もいて、

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じゃあ魂だ意識だ自我だ、という、人間が人間として存在するのに必要不可欠だと言われているものは、実際のところなんなんだ、と観ながら考えてしまうわけです。

よつばと! 」でクラゲを見たよつばに「いきてるってなに」と訊かれて答えられないとーちゃんのようになりながらも、やっぱりこの2本を観ると考えてしまうんですよ。

そうやっていまだに誰も明確な答えを出せない命題を、主要なキャラクターが各々のやり方でこね回している一方で、いきてるだけで幸せでごはんがうまいだけで幸せな、バトー君のわんこがいる。

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くっっっそかわいいな!

で、たぶんあれこれを考える人間の浅知恵は、このわんこには決してかなわないような気もしたりして。

この子は何せわんこなので自覚できないだろうけど悟っているこの言葉の境地には、たぶん人間は到達できないのかもしれない。

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まさに「朱雀を求めて北門より出づればたどり着く前に息絶える」ということか。

皮肉だ。

 

で、たぶんそういう断絶を唯一乗り越えているのであろう「守護天使」素子さんは、だから情緒がだいぶ人間からはずれている様子で、それでもバトー君を見守り助けの手を差し伸べるというところで、希望や可能性が感じられるんですよ。

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マトリクスの裂け目の向こう。魂を持たない人間が住む世界。神と動物の境地。そんな場所にあっても、繋がる事は、わかり合う事はできるのではないか。互いを思いやる事はできるのではないか。自分ひとりだけのところではなく、他者と共にあれるのではないか。

 

ヲタク的に作画の凄さやアクションの鮮やかさ、参加したスタッフの目から血ィ噴きそうな豪華さを云々する楽しみもありますがね。押井作品は、それだけで終わるのはもったいない情報量だと思うんですよ。

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キムの館の中、あちこちにあるホログラムが「ニューロマンサー」のヴィラ迷光を思い出すとか、そういう細かいところばっかりほじくってたらいかんのです(目を逸らす)

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確かに背景すげえし、人物もちゃんと骨格と筋肉から人体を描ける至高のマエストロばかりが手掛けておられるので、画面観てるだけですげえんですが、それだけじゃいかんの。いっぺん押井作品の、印象的なセリフだけでも抜き出しながら1本観てご覧なさい。情報が質量ともに打ちのめされるほど濃厚だから。私もね、この2本と「アヴァロン」「スカイ・クロラ」「トーキング・ヘッド」「人狼」でやったけどさ、やりながら再起不能レベルの猛打を受け続けたもの。でもやると得るものもあるよ。

 

能書きばかり並べてますが、要はこのひと言に尽きます。

観て。2本続けて。できれば5回ぐらい。そうしたら、私が何を訴えたくて無駄吠えしているのか、なんとなくでもおわかりいただけるかと思うので。もしわからなくても、なにかしら得るものはあると思いますから。

最後にねじ込んだれ。

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わんこかわいいなあ…(結局それかよ)(いぬ大好き)

 

あとねえ「イノセンス」はチョイ役に味のあるおっさんが多いのも高評価なんだぜ。

チャラ男には興味ないネ。男は味があってなんぼヨ。