名画座テアトル犬小屋

雑種犬が観た映画について書く場所。観たことのない映画で遊んだり、何度も観た映画についてしつこく語ったりするめんどくせえ、洗ってない犬の臭いがするブログ。

第17回 「日本の一番長い日」

何だか気がつくと、つい2回も観てしまったこの映画。

なんでこんなに気になったのか、ちょっとこの場で考えてみようと思います。

戦史好き・近現代史好き・ヲタクの三重苦をこじらせてるあほの雑種犬が吠えるので、めんどくせえ気配を感じられた方はさあ今すぐ逃げるんだ!(猟銃を抱えて震えながら)

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もともと私の親父・星海坊主はゴリゴリの戦中派、大東亜戦争当時は小学生で、私も餓鬼の頃から星海坊主の戦争体験はイロイロ聞かされて育ったわけです。腹が減れば川に行って遊びがてら魚とって食うとか、道パタの雑草摘んで雑炊にぶち込んで食ってたとか、戦後のGHQによる刀剣没収で、死んだ俺のじーさんが、うちに長船の子(審神者ゆえの表現)がいたのに供出しちゃったとか、まあ戦中戦後のあるあるですね。で、学校の授業では近現代史、特に戦史はとにかくぞんざいに扱われているので、もともとそういう話を聞かされてたのに、授業ではなんかそそくさと終わらせてしまうから、世間的には昭和初期からこっち、戦後までのほぼ空白なこの期間はどう捉えられているのかが謎で、しかももともとヲタクなもんだから、漫画やアニメや小説でその辺りの時代設定のものや、原点がその時代に据えられているものに触れることもあって、知識や情報が蓄積された結果、保阪正康さんが着目し再構成した、畠山清行氏の陸軍中野学校ルポまで読むように。

まあ、そうして太平洋戦争/大東亜戦争につながる近代史から派生して、終戦後に何があって世の中はどう動いたのかという戦後史まで関心が広がって、60年代安保やその辺りのゴタゴタも注目するようになって、それきっかけで倉橋由美子の初期作品なんかにも手を出し今に至っているのですが、そんなことは今どうでもいい。

要はザックリ戦中戦後の歴史について、おざなりにしか学校では扱わないから、実態が星海坊主の言う通りなのか否かがなんとなく気になっていたというね、そういうことです。

おかげで自分の中にある「世界の終わりを目撃したい」というオブセッションに気付いてしまうというおまけまで出て来たけど、それは別にどうでもいい。

要するに、この映画は「戦争の終わり」をどんなものにするのか、それに関わった人たちのお話です。

何せ戦後、さして時間が経っていないうち、当事者や近しい人が存命のうちにインタビューして記録したルポルタージュが元になっている映画なので、おかしなメロドラマ演出とかは一切なし。ローギアで全力疾走でもしているような緊迫感でもって、8月14日の正午からの24時間に起こったことを俯瞰して描いています。淡々としてるんだけど、いつ何が起きるのか誰にも予測も制御もできない感が凄まじい。

今この世界がなぜこうなったのか、どんな経過で今に至ったのか、そこが気になる方や、学校で今まさに近現代史を学んでいるという方、是非にこの映画を、最低限2回は観ていただきたい、そういう映画です。

 

まず、映画は連合軍からポツダム宣言受諾の打診を受けたところから始まります。これを日本国内でどう受け止め発表し、どう扱うのか。そこから議論は百出し、大概的にどう出るかを議論してる間に長崎に原爆が落ちるという、救いようのない決断力の欠如ぶりがアバンタイトルでまず描かれます。その後も天皇の扱いだの本土決戦だので内閣と陸軍がこじれにこじれ、その間にも泥沼の前線は叩かれ続ける。

この映画を要約すると、えー、なんだ。「最悪の展開を予測しないおめでたい連中が責任者になると国なら滅びるし組織なら瓦解する」という、これ以上なく生々しく痛い教訓であり、救いようのない事実ですね。

 

映画は1945年7月26日のポツダム宣言問い合わせに対する、連合国の回答が来たところから始まり、陸軍は何がなんでもどんぱちやりたがり、内閣はいい加減国力がないことがわかり切ってるので風呂敷畳みたがり、という姿勢のズレが描かれ、いよいよ運命の8月14日がやってきます。

内閣は「今決めないと北海道にまでソ連が侵攻占領に来る」と早々の幕引きを図りますが、個人的にはそうなっちゃう方がむしろよかったんじゃねえのかとか思ってしまう。

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で、御聖断を仰ごうと、まあ若い方にわかりやすくいうと天皇の判断を聞こうよということですが、内閣の会議に出席してもらって、意見を伺うわけです。

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陸軍は、若ぇ衆が頭に血が昇ってるの連中が多いのもあって、まだどんぱちやりたい。でも実際にはそんな余力、もう国内にはない。結局そういう実情を総理だとか 文民系の大臣に聞かされてる天皇の「もうやめようよ(要約)」で終戦は決定。ところが何せ陸軍の、参謀本部の若ぇ衆は、これまで負け戦の可能性なんか考えたこともない坊やの集団なもんだから、やりたくてやりたくて仕方ない。その、内閣の決定、天皇の決断ですね、それと頭に血が昇ってる部下連中との間で、陸軍大臣の阿南が板挟みになる。それと同時に、内閣では大臣達が自分の受け持っている省庁に結論を持ち帰り部下に報せ、事務屋は各々如何につつがなく仕事を畳むかで動き出し、軍人は終戦の知らせにクーデターを立案したり知らせを信用しなかったり、それぞれの立場でこの決定に向き合うのですが、その姿勢のとりようで、そいつの人となりが見えてくるのが面白いですね。

事務官は自決用の青酸カリを手配して仲間に融通なんて一幕があったり、また亡国名物・見られるとまずい書類でどんど焼きとかあったり、あと東京近郊の警備隊は人手が足りないからと言って、近場の未成年駆り出して、大臣を「亡国の徒」と決めつけぶっ叩きに出張り、という、社会の階層ごとにどうしようもない断絶があるのが、これ、今の日本と全く変わってないのがね、もう救いがない感がとめどもない。まず触れられる情報の質量が格段に変わり、更に基礎教育や経験学習の差が歴然として出てくる故に、大局的なものの考え方をできるか否かが変わってしまう。警備隊長の親爺なんてのは、短絡的にしか物事考えない馬鹿の典型として登場しますが、とにかくこの戦争は負けないと上から言われてるから負けない、的な思考停止をしてる人間特有の匂いがプンプン鼻につくキャラクター。ああこれでこいつ、進駐軍が来れば遠いところをようこそお越しくださいましたと熱烈歓迎してみせる、恥知らずの変節漢に平気でなれるんだろうなという、そんな予感しかしないおっさんです。この評価からおわかりいただけるかとは思いますが、私こういう人間が大嫌いです。

天皇と内閣はえー加減やめたいので、さあどうやって白旗あげようかと頭を捻る一方で、陸軍、ことに参謀本部の跳ね上がりは、それこそ真っ平になるまでやるのが当たり前と思ってる。特に参謀本部で熱心に駆け回って決起しようずとあちこちへ呼びかけ続ける畑中君はその典型。彼を純粋な故に割りを食った可哀想な若者と見るか、現実を冷静に受け止める知恵もない頭が幸薄い若者と見るかで、この映画の受け取り方もだいぶ変わりそうですが、まあ私はどっちかっていうと後者。国を愛してるかどうかと、現実にどんぱちやって勝てるか負けるかとは別の問題なんだけど、気持ちがあれば勝てるとかいう人はあれですか、単純な算数もできないんでしょうか。

あと、国を愛するのは文化を愛することであって、喧嘩すると強いんだと自慢することじゃない。

 

んで。

まあね、結局擦ったもんだの末に参謀本部のクーデターは失敗。師団長を説得できずに逆上して殺しちゃったことで足がついて、近衛師団騙して動かそうとしてたのがバレるわけですが、こういうでかいことやろうとするなら死人を出すのは最低の悪手。一つコケればそこから先は全部、即興で取り繕うしかないんだから。ここですでに失敗は決まってたの。

最後、畑中君は「お前のそれは未練だ」と指摘されて、失意の中宮城を前に自決しますが、彼はまだ、自分がやらかしたことに殉じただけ正直者ですね。

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一番タチが悪いのが警備隊長の親爺みたいな人間。当時子供だった世代の方が「玉音放送の後に教師が真逆のこと言うので人間不信になった」と証言されているインタビューなどありますが、星海坊主もその口な様子で、だから軍人は大嫌い。まあね、ラジオ番組1本でそれまでの価値観書き換えろとか言われて、それまでふんぞり返ってたクッソ不愉快な大人が、外国人がきたら旗振ってお出迎えとかするんじゃあ、あほかとしか言えないよなあ。

で、この24時間の間にクーデターが起きて、同時に終戦のために内閣は広げに広げた風呂敷畳み、厚木基地では命令無視して特攻隊出撃させ、文官は玉音放送の原稿書き、横浜警備隊は子供駆り出して総理の暗殺しようとして捜し回り、えねっちけのスタッフはいきなり呼びつけられて出張録音収録の支度をさせられ、と、まあすげえな煮しめたようにイロイロ起こるな。で、降伏終戦だから部下は絶対にいうこと聞かねえと踏んでる陸軍大臣は、天皇の御聖断、決裁が降りると、それまで若ぇ衆納得させるために本土決戦だ徹底抗戦だ、と馬鹿の一つ覚えで繰り返してたのを引っ込めて、若いもんを再就職させられる職を見繕ってやってくれと言い出したり、終戦の御名御璽に署名したあとで総理に餞別渡したり、覚悟を定めたのか諦めたのか、身辺整理して、屋敷に来た若い部下2人の目の前で割腹。

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とまあ、こうやって日本は降伏したわけですが、それがよかったのか悪かったのか。

ここでね、憲法を自力で作ることすらできない程度の国だったと露呈したこと、あまつさえ他人様が考えた憲法案をそのままおしいただいて、ありがたやありがたやと、お国柄に合わせてアレンジするなどの工夫もさしてせずにそっくり使っちゃったりして、自分たちでは何も決められない、決めるほどの知性も気骨もない国だということをさらけ出しちゃったのがねえ。

最初のうちはそれでもよかったんだよ。でももう、そういうものは通用しなくなっちゃったのに、何せものを考える、決めるということができないし、しようとも思わない国だからね、今になってつけを払えと言われていて、でもなぜつけが発生したのかすら理解ができてない。

もしかしたら、この昭和20年夏の時点で分断統治されてたら、もう少し自分のことを自分で決める風土が育っていたんじゃないのかとも考えてしまう。

 

この映画観てるとね、軍人は揃って「国体」「国体」とさも大事なもののように言っておりまして、これ、たぶん今の若者には理解が及ばないものだよなあと思うんですよ。そんなもんないからね。実際にはないからね。ただただ体裁とか面子とか、そういうものでしかないので、そんなもん鼻紙にもならねえや。

 

んで。この作品で得られるのは「最悪の事態を想定しないで行動するのは馬鹿」「終わりのときに後片付けもせず悪足掻きするのはただただみっともない」という教訓であり、あと、馬鹿はきちんと相手に伝わりやすい落ち着いた話法ができないという、一種の馬鹿判定法も見出せる。

何かでかいことをなすときには、わあわあ喚くしか脳がない空頭を仲間に入れると破綻するからやめた方がいいよ。

 

私が一番好きなシーンは、クーデター起こしたあとで畑中君が馬とバイクでアジビラばら撒くシーン。ビラは肝心の軍人仲間には見向きもされないどころか存在すら知られることなく、浮浪児が夢中で拾い集めるの。これ、子供たちは紙拾って反古屋、今風に言うならゴミ回収業者とか資源リサイクル屋とか、そういうところに持っていくとお金になるから、1食ぐらいのお金にはなる。結局畑中君たちのクーデターは絵空事でしかなくて、彼らは全然現実を生きてなかったという、すげえ皮肉ですね。それをアジビラ拾いに夢中になる子供たちというワンカットで見せちゃった。

「2・26が失敗したのは、あいつら陛下担いでなかったじゃん」「俺らは陛下を仰いでるからカチグミだっぺ」なんてことをのんきに言ってるやりとりがありますが、これだけでもう、畑中君たちクーデター勢力が現実に生きてるわけじゃないのがお察し。「お前の純粋さを見込んだ」とクーデターに付き合ってくれてた白石君は、師団長が目の前で斬られちゃったので愛想尽かして陸軍大臣に会いに行って臨終に立ち会う。彼は当初、なんかこのまま畑中を放り出すのも忍びないし、と思ってたのが、師団長説得できなかったらやめるんだぞ、って約束してたのにやめないもんだから、ああこいつら見たいものしか見ないんだなと悟って愛想尽かしちゃった。

たぶん、この映画で描かれた8月14日15日のなかで、一番現実を生きてるのは、アジビラ拾って売りに行こうとしてる子供たちだと思って観てました。

毎年夏になると終戦もののドラマや映画がわさわさ作られ公開されますが、この時代の現実を見せてくれたのは「この世界の片隅に」とこの映画の紙拾いする子供たちだけでした。

あのワンカットだけで2時間は語れる。そういうシーンでした。

 

ここで全く関係ない話をオチがわりに。

冒頭で挙げた、長船の子を供出しちゃった俺のじーさま、実際に1年だか2年だか徴兵で引っ張られたそうで、帰ってからばーさま(俺生まれる前に故人)に「日本負けるなこりゃ」と言って「そんなこと外で絶対言うな」とめっさ叱られたそうです。そういう時代だった。

 

結論。そんなにどんぱちやりたいなら、同好の士だけでやればよい。一般人に肩代わりさせるんじゃねえ。

 

と思ったら、しまった。

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役所広司版あるの忘れてた。こっち観ればよかった(二段オチ)(役所広司好きなんだよ悪いか)