名画座テアトル犬小屋

雑種犬が観た映画について書く場所。観たことのない映画で遊んだり、何度も観た映画についてしつこく語ったりするめんどくせえ、洗ってない犬の臭いがするブログ。

第2回 「機動警察パトレイバー2 the Movie」

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いきなり観たくなったのでこの映画を選択。

実は昼間に第1回の「映画刀剣乱舞」を観ながら本文を書いてUPしたばかり。

スタートしたその日とはいえ、あまりに記事がないと、せっかく観にきてくれた方に対して申し訳ないな、と次弾をこうして準備中。

初回同様、小屋主の趣味丸出しの題材ですが、もういいなんとでも言え。

 

いやあ、このオープニングの緊張感、レイバーの実験機の駆動、何もかもが本気の全力疾走感が、最初から惜しみなく叩きつけられるこのパワ、実はパト1よりもこの映画の方が、何百回でも観られる。私はな。あくまでも私は。だからってアレだ、パト1も好きだぞ。もちろん。

押井監督は「僕の映画では最初に結論を出してるんだよ」とブロマガの対談などで仰っていましたが、パト1ではセリフとして出たそれは、この映画では、序盤で第二小隊の初代メンバー達がすでに隊を離れ、各々出向先や異動先で新たな生活を始めていて、なんとも没個性な二代目が後釜についていることで、雰囲気として漂わせていますね。とどめは課長すら去り、しのぶさんが第一小隊を束ねながら課長代理を兼任、更に特車二課そのものがそう遠くないうちに解体されるという話まで出ていることで、ああ、これは終わりの物語なんだな、と匂わせている。初見では何かやろうとしているな、という予感として、再度観たときには、そうか! と全ての符号が合うようになっているわけです。

で、パト2がパト1とどう違うのか。

まずパト1は、第二小隊の面々の側から事件を追いかける、というストーリーゆえに、夏という季節とも相まって実にフレッシュ、若々しくて元気な、溌剌とした印象ですが、パト2はどちらかというと、メインヒロインはしのぶさん、序盤で起こった事件をきっかけにきな臭くなっていく世相を背景として、後藤さんや松井さんの行動を追いかけていく展開ゆえに、どちらかというともっと大人の世界を思わせますね。何度も観て考えて、それでは自分は、この映画に登場する大人たちの誰に共感できるのか、誰の考えなら理解できるのか、受け入れられるのか、誰の考えに何故違和感をおぼえるのか、自分ならどう行動するのか、それを自問することになる。明快な正解がないからこそ、あそこで彼は彼女はこう行動した、では自分は何を選ぶのか? 観るたびにそんな宿題を出されたような気がするんですよ。観ながら考えて、でも何をしたところで、おいそれとは状況をひっくり返すのは難しいこの展開を、もっと穏やかなものに変えられるのか? どうすればいいのか? そもそもの最初から矛盾の中にあって、じゃあ矛盾をただしたときに何が起こるのか? ただすのが果たして正解なのか? 

人間、何十年生きていれば、そりゃあ過去だってイロイロついてきますよ。そういうものをうまく身にまとったり切り取ったり、切り落とし損ねて引きずったり、みんなそうやって生きているんだよ。

自分の過去、生まれた国の過去、この世界の過去、そういうものを自分はどう扱うのか。

自分が、暮らしている国が、戦っていないから平和なのか? では今のこの生活は、実際のところどうなのか? それは何が起ころうと変わらない盤石のものなのか? 変わったときに自分は何を選ぶのか?

事態がどんどん悪くなる中、パト1では無邪気にアルフォンスを大事にしていた野明は大きな選択をし、それを通して観ている私達はより切実に「君はどうするんだ? 」と問いかけられる。なんとなくそんな気がしてしまうんですよ。そして、その問いは更にTNGパトのこのシーンでより強く叩きつけられます。

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観るたびに考えるべき命題が次々あらわれ、以前に観たときに持った疑問に、自分はどんな答えを出したのか、何度でも考えるし、考えずにはいられない映画です。

たぶん死ぬまで観られる。

 

ラストでしのぶさんが選んだ道は、自分の良心に嘘をつけないがゆえに、あそこへいくしかなかったのかもしれない。

 

後藤さんと松井さんのカッコよさは大人になるとよくわかるってのは、ランバ・ラルと同じだと思うのは私だけか?

子供の頃は「なんでこんなヒゲのおっさんにこんなきれいな奥さんがいるんだろう」って思ってたけど、大人になってから見たらすげえカックイかったランバ・ラル。後藤さんと松井さんも、たぶん若い子が見るとヨレヨレのおっさんにしか見えないのかもしれない。

まあいい。男は味があってナンボだ。