名画座テアトル犬小屋

雑種犬が観た映画について書く場所。観たことのない映画で遊んだり、何度も観た映画についてしつこく語ったりするめんどくせえ、洗ってない犬の臭いがするブログ。

第9回 「犬神家の一族」

また間が開いてしまいましたが、今日もまた古い映画なんだ。すまん。若者の皆さんすまん。

今日はこいつ。

f:id:bf021hugtlang:20200904133348j:plain

犬神家の一族」です。

 

何でこの映画なのかって?

うちの鶴丸島田陽子ファンだからです。

f:id:bf021hugtlang:20200904133521j:plain

この映画ではメインヒロインの珠世ちゃんの役です。「犬神家」実写化作品は数あれど、島田陽子さんの珠世ちゃんが一番のはまり役だと思っています。

従兄3人の誰かと結婚せいと世話になった爺さんに遺言され、それまで合えば挨拶する程度だった野郎2人に言い寄られるという、災難でしかないお嬢さんですが、野郎どもにしてみれば、こんな身も心も美しくてしっかり者の乙女が、バクダンみたいな金持って目の前にいて、剰え自分のやり方次第で金も愛も手に入るとなれば、そりゃあ行くでしょう。でも珠世ちゃんにしてみれば、真面目で気持ちも優しい佐清と清いお付き合いをしているわけで、お爺さんがお金を残してくれるのはありがたいけど、婚約者候補についてはいい迷惑でしかない。

実際うちの鶴さんも、俺が候補に含まれてたら全力でいく。砕けるの前提であたりに行く。って言ってます。やめとけよ。お前、グッドルッキング以外はただの二度童じゃねえか。

 

何度かこの映画観てますが、従妹の小夜ちゃんが隠れてかわいそうなんですよねえ。

財産のこともあるけど、従兄の佐智君もまあ好きだしで、親とおばさんに推されて付き合ってたのが、みんな祖父さんの遺言聞いた途端に見向きもしなくなって、カレピッピも珠世ちゃんに乗り換えようとし始めて、ってかわいそう以外の何者でもない。遺言でも存在が無だったもんねえ。

 

で、皆さん「犬神家」と言うと真っ先にあのゴムマスクと足に目を奪われがちですが、見てコレ。

f:id:bf021hugtlang:20200904135131j:plain

俺たちの兵吉パイセンが若いこと。

島田陽子さんが一緒のカットなのは、鶴さんの趣味です。

f:id:bf021hugtlang:20200904135231j:plain

そして市川崑金田一シリーズと言うと欠かせない。坂口良子さんの宿の仲居さん。

かわいいよね。亡くなられたのが惜しい。

リメイクでは深キョンちゃんがやってましたが、このかわいらしさ、後を継ぐのは深キョンちゃんにしかできない。

 

んで。

「犬神家」の事件の発端となった遺言書、コレも意味もなく真似したくなる変なオーラがあるなあ。

自分の遺言書の冒頭を「すべての財産とともに下方の斧琴菊は野々宮珠世に相続することとす」で始めるか、あるいは「ワシが死んだら三年間は隠しておけ。そして影武者を立てるのだ」で始めるか。迷う。

 

金田一シリーズのほとんどの作品、その特徴が「犯人に悪人がいない」ですかね。みんな誰かに幸せ摑ませるために極端な手段に走っちゃう。

昨今流行りのパズラー系ミステリもいいけど、こういう物語は「人間だから」起きてしまうことで、一見超個人的な感情のアヤや愛憎やあり得ねえだろという極端な舞台設定を見せているようで、その実、人間であれば誰しも思い当たる心の動きであって、すごく普遍的なことを描いている。恋愛ものとは真逆の性質のありようです。

恋愛モノっていうのは、誰だって一度は誰かを好ましく思う経験はあるし、今はなくてもいずれそうなることはあるけれど、その体験というのは、誰にでも訪れはしても、実はそれは、体験する者ひとりひとりみんな違うあり方であって、結局は個人に還元されてしまう。あなたのときめきと私のときめきは、同じものとして扱ってしまうのは乱暴すぎる。

 

まあ、そういうこともあって、ミステリやアクション、ときにはホラーなんかも観ますが、恋愛だけを売りにするものは観ません。

語り口が名人芸だというならばともかく、その辺のあんちゃんネエちゃんの下半身の事情なんて私には死ぬほどどうでもいい。

 

あとねえ、古い映画を観る醍醐味は、その時代時代の光景の外部記憶装置的な要素でしょうか。タコ部屋よろしくなやっすいボロ宿とか、今撮影セット作ろうにも、ここまでの狂おしきクオリティではできないでしょう。作ってるスタッフが若いからね、こんなきったねえ安宿、見たこともないだろうし。外での撮影にしたって、街がどんどんこぎれいになっている昨今、雰囲気のある場所は次々と減っている。だからってまさか現代物しか作らないなんていうわけにはいきませんし、難しいところです。

と、小難しいことを言ってるそばで、鶴さんが頷いてます。金田一の「珠世さんみたいにきれいな人が嘘はつかないでしょう」ってセリフに赤ベコみたいに首振ってます。

まあ気持ちはわかるけどさ。

 

金田一シリーズや、同時代の数多の小説や映画は、思えば戦争というどでかい闇がちょっと以前にあったという前提で生まれているんだよなあ。

いっぺん物心ともに更地の焼け野原になったところから始まった世界だから、希望もサツバツも全部ある。その上でのものだからね、それを乗り越えようと思ったら、中途半端な壊れ方ではおっつかない。

 

あ、お春ちゃんのお遣いシーン来た!

春ちゃんが飯食おうとするとなんか訊いて邪魔する金田一。オゴリの意味がねえ。ヒドイ!

このシーン好きなんだ。

そりゃあ食べてる暇ないよなあ春ちゃん

 

うっは岸田今日子が若い(琴演奏シーン来ました)

 

あとねえ、「獄門島」もそうだけど「犬神家」も、すでにいない人物の奇妙なまでの支配が如実に描かれてますね。

死んだ網元が望んだ事態。

死んだ父親の悪意で相争う娘たち。

いないからこそ嫌でも存在を感じてしまう。まさに「不在ゆえの存在」。

 

ということで、あんまり長々と書くのもかえって読みづらいから、今回はこの辺でやめとこう。

たまに昔の映画を観るのも面白くていいぞ。